タンザニア 数学教育
自己プロファイル
派遣国: タンザニア
隊次(具体的な派遣期間): 2018年度1次隊 (2018/7/9~2020/3)
協力隊派遣前の専門学校・短大・大学(所属学部やゼミ):
岡山大学大学院自然科学研究科数理物理科学専攻、幾何学(図形を扱う分野)専攻
応募時の資格:TOEIC550~650(推定) 教職免許一切なし
職種:数学教育
配属先: Fuka secondary school
活動対象の人:中学1~4年生 (自分は1~3担当)
要請内容:
①通常授業の実施
②必要に応じて教師側の業務改善・意識改善
③その他学校側が必要としている雑務の手伝い
自己紹介
大学卒業後、自分が研究しているものをちゃんとした形で結果を残したいと思いそのまま大学院へ進学し、修士課程を取りました。その研究の合間、様々な書籍(主に自己啓発や仕事術)を読んでいました。ある一冊の本をきっかけに初海外はフィリピンへ行きました。
そこで目にした、日本との違い。活気・貧困・教育格差。
日本に帰っても思索に耽続け、気づけば海外進出の本をメインに読み始めてました。それが拍車にかかり、院1年の秋には途上国で働く決意に至ってました。それを当時の担当教授に相談したところ、青年海外協力隊を紹介されました。職種の中に「数学教育」を見つけ、自分の活かせる分野を見つけ応募・合格しました。
タンザニアへ赴いてからは数学授業のほか、教師の業務改善手伝い、小学校との交流、日本文化紹介と、(いきなり全てを実行するほど器用ではないので)少しずつ活動範囲を広げてました。
現地でのことについて
①現地で活動して良かったと思った瞬間
現地の状況を1次情報として知ることができ、自分なりに解決策を導き出して結果を出せたこと。生徒たちが数学嫌いとは派遣前から聞いていたが、実際には不得手の中にもばらつきがあったことが判明。レベルに応じて計算テスト・補習・教師役をさせるなど対策を取り、少しずつ数学好きを増やすと同時に成績も上げていた。2019年は試験がある年で、(実際にデータが残っている)ここ何年かで一番の好成績を残させた。目に見える形で残ったので生徒のみならず同僚からも絶賛され、学校に大いに貢献できたことが何よりうれしかった。
②活動で苦労or 辛かったこと、どう乗り越えたか
思ったよりか英語が通じずに最初は戸惑った。現地語(スワヒリ語)もあまり上手ではなく、意思疎通に時間を取られすぎた。授業ではほとんど決まった(英語の)フレーズしか使わないことに決め、それでも理解していない生徒が大半、ならば代役で生徒にスワヒリ語で説明をさせていた。また、とりあえず手を動かすということで、説明は少しの時間しか使わず、練習問題をたくさんさせていた。
③要請内容への取り組みとその後
通常授業の結果は「現地で活動して良かったと思った瞬間」に記載した通り。加えて、近隣の小学校と一緒に活動を行った。具体的に、自分の生徒たちに教師役をしてもらい、算数のゲームを実施。数字を使った神経衰弱や買い物ごっこなど小学生が楽しめそうな内容にしていた。業務改善の点では、パソコンを使って成績管理表を作っていた。これによって点数を入力するだけで学期末の成績表まで作れるようにした。以前まではテストの点を電卓・あるいは手計算で色々計算して成績を出していたので(そもそもテストの点が残っていないことも)、大幅に教師側の負担を減らした。帰国が決まったのとタンザニアの学校閉鎖が同時だったので、途中経過の成績だけ渡し、その他はあまり引継ぎができなかった。
④要請内容外での取り組みと展望
分科会では部長を務めていたが、特に目立った活動はしていなかった。強いて言えば、自分が行っていた小学校との連携活動を見せるため、年2で行われる部会を利用して隊員を自分の任地に呼んで紹介をした。他には、生徒全員に向けて原爆展を実施した。終了後、質問しに来るほど興味を持ってくれた生徒がいたので、次年も開催する約束をした(結局帰国につきできず)。他にも、業務改善時に作った成績管理表が校長先生を通して他の学校にまで知れ渡ったので、他校に紹介を行っていた。(本当は市の役所(教育委員会的な?)に持ち込んでプレゼンの予定だったが、時間が合わず断念)
⑤現地での活動や生活(隊員生活)で得たもの
気楽に仕事を進めればいいと思い始めた。最初の方は、こちらの要望に対して遅対応なことにイライラし、授業・補講開始時間になっても生徒が教室に入らず(特に雨天時には開始時に半分しか登校せず)活動を始める前にやる気を失っていたことが多々あった。しかし、「相手は自分ではない」ことを意識して生活をはじめ、不都合なことがあっても柔軟に対応をできるようになったかと。また、協力隊が終わった後のことを考え始め、一度日本の外を見た感想として「日本人だから日本で職を見つける必要はないかな」と(現実的かどうかは置いておいて)チャレンジ精神を培ったことも大きい。
⑥新卒だから出来たと思うこと、逆にもっとやっておけば良かったこと
結構自由に授業を行っていた。授業準備は勿論するが、進捗状況次第で遊びを取り入れるなど、波を作っていた。また、それほど抵抗なく活動を始めることができた。そのため試行錯誤できた時間が多く、割と早めに自分のスタイルを見つけることができた。他にも、自分がやってみたいと思った他人の活動を積極的に取り入れることができた。固執する必要性がなかったのが大きい。後悔面では、もっと英語・スワヒリ語を勉強しておきたかった。生徒や教師との対話に支障が出たのは勿論だが、新卒ではない人と比べると自分は経験が少なかったので、せめてそこを頑張っていればもっとバリエーションが増やせたと思う。
協力隊全般について
⑦訓練所での感想
70日間、共に過ごす中でも特に生活班(1班に10数人)の方たちとの一緒にいる機会が多く、そこには国職種年齢関係なく色々な人がともに過ごしているので、様々な意見や考え方を知れた。語学の授業でも、自分の得意分野以外のことも表現しないといけなく、また逆に聞けることもあったので、今まで数学しか考えてこなかった身としては十分なほどいい経験だった。もちろん、同クラスには自分よりも英語が上手な人が勢ぞろいなので参考にできる面も。
⑧選考時はどんな面接だったか
人物面接は、普通の企業への面接と変わりがなかった記憶がある。
志望理由や今までの活動・経歴の説明など。
技術面接では、特に印象が残ったのが
①算数と数学の違い
②教育とは何か
③分数の割り算は何故ひっくり返して掛け算か
④10+1=101はなぜ間違いか(ローマ数字だとX+I=XIなのに)。
①と②は自分が常日頃から考えていたことを答え、③と④はその場で何とかたどり着いた答えを出した。両方とも、あまり緊張はしなかった。
⑨何故受かったと思うか
前述の、③と④は必死で考えて出したがあまりいい答えとは自分も面接官も思わなかった。が、姿勢を評価され、「赴いたら是非そこら辺の答えを自分なりに作り出してほしいです」と言われた時に受かったと確信した。また、訓練時前に特定の人に行われる技術補完研修で、「書類審査は私も見ますが、1,2行しか書かない人もいるんです。その人はやる気がないですね」と担当官から話を聞いたので、そこも影響するかと。(因みにその技術補完研修の担当官は、技術面接時の面接官)
⑩協力隊終了後の進路
具体的にこれがしたい、とはまだ決まっておらず。けれどもキーワードとして、①途上国②数学関係、を考えている。今は隊員時代にお世話になった教員と話をしているので、何か機会があれば赴くかもしれない(本当にはっきり決めていない、多分隊員の中でも結構のんびり派、皆さんはちょっとずつ考えてくださいね)。やっておけばよかったのは、もう少しタンザニアにいた頃自分の活動を近隣の学校に広めておきたかった。種をまいておくことに越したことはないかな、と反省。
語学について
⑪協力隊の面接受けた時の語学力は?
はっきり覚えてない。大学院時代に英語で書かれた論文を読んで・書いて・発表していたので、勉強はそれで十分だった。但し、全て数学に関わることのみで、日常会話等はあまり使っていなかったので、面接時はおよそTOEIC600~650だったかと。
⑫現地で語学は通用しましたか?
英語は、学年の中で成績上位2割程度の生徒くらいは理解していた様子。但し、地域に依っては(とくに南部地方)、学年で数人しか理解できない人もいる。現地語はスワヒリ語。教師は、全員英語が使えるが(これも地域に依るかもしれない)、慣れてくるとスワヒリ語の方で話しかけようとする。
⑬どのように語学を勉強したか?
現地の、数学以外の教科書を購入し読んでいた。また(賛否はあるが)テストのたびに他教員が手書きで作成した試験を、パソコンを使って清書していた。どちらも日常生活のフレーズではないが、特に今後を踏まえて読み書きを重視したい自分にとってはいい勉強方法だった。Youtubeを、教える範囲のトピックを英語ネイティブの人が教えている動画を視聴することで、英語の勉強のみならず授業準備にも役立てていた。