ザンビア共和国 小学校教育
自己プロファイル
派遣国:ザンビア共和国
隊次(具体的な派遣期間):2018年度2次隊
協力隊派遣前の専門学校・短大・大学(所属学部やゼミ):都内女子大、国際関係学科
応募時の資格:高等学校教諭一種免許状 (英語)
職種:小学校教育
配属先: チンゴラ初等学校(コッパーベルト州チンゴラ)
活動対象の人:小学5〜7年生
要請内容:小学5〜7年生を対象に理数科目の指導、余力があれば体育等も。
自己紹介(志望理由や活動内容を含めて)
ザンビア北部コッパーベルト州のチンゴラという都市で、小学校教員として主に算数を指導活ていました。大学卒業後は大学院進学か一般企業への就職を考えていましたが、大学で学んでいた国際協力の現場を生で見たいと思い、協力隊を受験しました。(就活が嫌になったというのが本音ですが。)
元々は青少年活動で受験していましたが、職種振替?で小学校教育で合格しました。(小学校教諭の免許は持っていなかったため、2週間の小学校実習と5日間の研修を受講。)
配属先では一教員として小学5〜7年生に算数を指導。ザンビアでは小学7年生になると進級試験(中学受験的なもの)があるので、受験生へ補講を行ったりもしました。
小学校の指導に関しては右も左も分からずでしたが、なんとかなるものです。
~現地でのことについて~
①現地で活動して良かったと思った瞬間
生徒と一緒に下校している時が一番楽しかったです。
家と配属先が目と鼻の先なので距離としてはそこまで長くありませんが、放課後は時間にも心にも余裕があるので、だらだら子どもたちと掛け算ゲームをしたり日本語を教えたり、
他愛もない話をしながら1日の終わりを迎える瞬間が好きでした。(広すぎる空と夕焼けがまたエモい。)
活動の内容で言えば、配属先にいた教育実習生が私の授業をみて、教材を真似して作ってくれた時は嬉しかったです。それからはできるだけアイデアを共有するようにしていました。
②活動で苦労or 辛かったこと、どう乗り越えたか
圧倒マイノリティとして生きること。
道を歩けば穴が開くほど見つめられ、挙句アジア人だからと揶揄われ、
学校でも良くも悪くも特別扱いされ、自分の居場所がなかなか定まらなかったです。
それでも、徐々に子供たちや先生、地域の人々と関わる中で
「ここは遠慮せずにいこう」とか「こういう場所は避けよう」とか
自分なりの立ち振る舞い方がわかってきて、なんとか過ごしていけました。
あとは、周りの隊員が現地の人々ともがきながらも楽しそうに過ごしている姿を見て、
自分も頑張ろうと思えたのが大きかったと思います。
③要請内容への取り組みとその後
元々の要請内容は
- 小学5〜7年生を対象に理科・算数科目の指導
- 現地教員への指導やアドバイス、ワークショップの開催等
- 余力があれば体育や音楽等の情操科目の指導
の3つでしたが、赴任して半年ほどで「教科担任制」がザンビアの小学校に導入されたため、算数を専任科目として割り振られました。
1週間の授業数としては、
5クラス×2コマ(1コマ40分)をそれぞれ週3日、計30コマでした。
(当時はたまたま教育実習生と分け合えたので実質18コマくらい)
急な職員会議、教室移動、学校行事などで授業がほとんどできなかった学期もありましたが。その後、体育や図工なども徐々に任せてもらえるようになったのですがすぐに新型コロナウイルスの影響で一時帰国となってしまいました。
④要請内容外での取り組みと展望(国別ボランティア会での取組等)
教育分科会があったためターム休みはそこで他隊員と意見交換をしたり、ストリートチルドレンの視察を行ったりしました。
また、任地の治安が悪化し首都退避した際は首都でエイズ孤児を支援する学校(NPO)へボランティアを行いました。そろばんや折り紙、色鉛筆など日本からの物資支援がたくさんあったのでそれらを使い主に情操科目を現地の教員と協力し指導しました。
⑤現地での活動や生活(隊員生活)で得たもの
どこでも生きていけるという自信。
赴任して半年間は、とにかく辛くて任国も好きになれず地獄のような日々でした。
乗り越えられたのはほとんど周りのおかげですが、それでも「だいたいのことは何とかなるんだな」と思えたのは自分にとっての成果だと思います。
⑥新卒だから出来たと思うこと、逆にもっとやっておけば良かったこと
ありきたりですが、固定概念に囚われず柔軟に取り組むことができたのではないかと思います。
やっておけば良かったと思うことは山ほどありますが、
特に、四則計算の教え方のレパートリーを蓄えておきたかったです。
(基礎的な計算でつまずいてしまう生徒がとても多いため。)
インターネットで探したり、周りに聞いたり、現地に行ってからあたふたしました。
~協力隊全般について~
⑦訓練所での感想(思い出に残っていること、やっておけば良かったこと等)
新卒で参加した身としては、様々なバックグラウンドを持つ方々に囲まれて生活するのが楽しかったです。それぞれ歩んできた道がバラバラで個性的な方ばかりでしたが、「協力隊になる」という一つの目標に向かっていく感じ、青春ぽかったなあ。(しんみり)
訓練言語は赴任国ごとに異なりますが、ザンビアは英語でした。英語は大学時代にそれなりに勉強してきた(させられてきた)ため、訓練中はだいぶのんびりしていましたが先を見越してもっと真面目に勉強しておけば良かったです。
また、語学もそうですが算数の教え方の部分もこの期間に準備しておけばと思いました。
⑧選考時はどんな面接だった(内容)
人物面接・技術面接と二種類の面接がありました。
正直あまり覚えてませんが、技術面の質問では
基本的にその職種に関わるこれまでの経験を聞かれたような気がします。
また、大学時代にフィールドワークでパレスチナに行ったりしていたので、そこをとにかくアピールしました。塾講のバイトとかも。
面接の帰り道、それなりに準備していたにもかかわらず「あれ言えば良かった…!」と何度も後悔したのは今でもよく覚えています。
⑨何故受かったと思うか
教員免許を持っていたことと、塾で実際に教えていた経験があること、海外経験があったことが大きいのかなと思います。
そうでない方でももちろん合格していますが。
⑩協力隊終了後の進路(現在考えていること、やっておけばよかったこと)
色々と迷った結果、一般企業で働いていますが、いずれはまた外に出て何かしたいと思います。
一時帰国などもあり、あまり前向きに考えられる時期ではなかったので、いまだに模索中です。
~語学について~
⑪協力隊の面接受けた時の語学力は?(いつ勉強したか、具体的な点数等あれば)
前述の通り、大学で勉強していた(させられていた)のであまり困っていませんでした。
とはいえ英語の最終スコアが高校生の時に取得した英検2級だったので、
語学の証明はちゃんとできるようにしておけば良かったなと思います。
⑫現地で語学は通用しましたか?(現地語は?英語は通じた?)
初めはアフリカ訛りのイギリス英語に苦戦しました。
(o'clockが通じなかった時は軽く衝撃を受けた。)
学校でも基本的には英語でしたが、英語が通じない生徒も多かったため、クラス内の英語が達者な生徒に協力してもらったり、言葉を使わなくても理解できるような授業・教材づくりに努めました。
現地の先生は現地語をミックスしながら授業をしていました。
現地語は、赴任後の現地語訓練で習う挨拶程度です。
⑬どのように語学を勉強したか?(どのように言語を向上・習得させたか)
訓練期間中の語学クラスで、任国に関する英語記事を読んで説明するという時間が毎日設けられていたのですが、レベルの高い単語や表現を学ぶことができ、かつ任国のことが知れる良い機会だったと思います。おすすめです。
現地語は、日常的には使いませんがたまに話すと現地の方々に喜ばれるので、
気になった表現があればその都度聞いて、携帯にメモしていました。