モザンビーク 理科教育
自己プロファイル
派遣国:モザンビーク
隊次(具体的な派遣期間):2018−1次隊(2018年7月~2020年3月)
協力隊派遣前の専門学校・短大・大学(所属学部やゼミ):近畿大学理工学部理学科物理コース
応募時の資格:普通自動車・教員免許(中・高理科)
職種:理科教育
配属先: シブト中等教育学校
活動対象の人:9年生・11年生(日本の中学3年生・高校2年生)
要請内容:理科教育の普及と進学率の向上
~自己紹介(志望理由や活動内容を含めて)~
青年海外協力隊について高校の頃に出前授業があり、貧しいはずのアフリカの子
供たちは日本の僕たちよりキラキラした笑顔をしており、その授業が印象的で自分もいつか行ってみたいなと言う気持ちは持っていました。
大学に進学し教員免許を取り、教員採用試験にむけて準備していたのですが、その中
で自分は何もこの世界や価値観を知らないまま教員になって、生徒に何か教えれるのかと違和感を感じていました。そのような中で一度青年海外協力隊に行って考え直そうと思い応募しました。
活動内容は大きく分けて2つあり、実験の普及と進学率の向上です。演示実験や実験ク
ラブを通して生徒に実験する機会を与えたり、テスト前対策や追試を通して進学率を上げる活動をしていました。
隊員活動を通してモザンビークの発展に大きく貢献出来たかとは思えませんが、同僚や
生徒、現地の方とのより良い関係作りを行ったり、日本のことを伝えることができたとは思います。
~現地でのことについて~
現地で活動して良かったと思った瞬間
全然理科の出来ない子どもに関わっていくことで、理科に興味をもち点数も取れるようになってきた時は、諦めないで教え続けてよかったなと思いました。現地では座学メインの授業でしたが、僕は理科実験を頻繁に行なっていたので、生徒から「いつ実験するの?」「次の実験は?」と催促される時に、生徒が理科に興味を持ってくれていると感じ嬉しかったです。
また生徒や同僚と仲良くなって街中でも声をかけられる回数も多くなり、日本人一人の
町でしたが寂しさを感じることなく生活でき、今では第二の故郷と言えるほどになりました。海や星空に恵まれてるのも良かったです。
活動で苦労or 辛かったこと、どう乗り越えたか
最初は言語の壁と、考え方の違いが辛かったです。
言語(ポルトガル語)では、最初何を言われているのか分からない、言いたいことが伝わらないというのが活動でも生活面でもしんどかったです。しかしポルトガル語を勉強し同僚とよく喋ることで、少しずつ分かるようになっていきました。自分の言葉を直してくれる人と喋ることがいいと思います。
また、考え方の違いに関しては、何か力になりたいとは思い学校に来ているが、色々な雑用を押し付けられたり、自分の事をすごく下に見る同僚がいたりと、ボランティアの考え方の違いが最初は大きい点で辛かったです。それでも自分の意見を言ったり、親切にしてくれる同僚を味方につけるなどして乗り越えました。
要請内容への取り組みとその後
理科実験の普及では授業に演示実験を行なったりしました。しかし、カリキュラムに実
験を一コマするような授業はない為、理科実験クラブを設立してそこで生徒と実験をしたり、実験教材を一緒に作成して、それを通常授業で使うなど授業と並行したクラブ活動もしていました。
他に進学率の向上と言う要請内容もあって、各教室に60〜70人の生徒が居て留年
する生徒が増えればそれだけクラスの人数が増えるので、留年させられない背景もあり、この要請がきました。自分の持ったクラスにはテスト前対策や追試の実施で進級率を上げることが出来ました。
以上2つがメインの活動でしたが、ワンマンの活動ばかりでコロナで引き継ぎも出来ず帰国になったので、今後継続した活動はないと思います。
要請内容外での取り組みと展望(国別ボランティア会での取組等)
実験フェスタ
アメリカンピースコープ(アメリカ人ボランティア)がモザンビークで実験フェスタをやっていると言うことで、自分の学校でも実験フェスタを行いました。生徒が自分でどんな実験をしたいかを考えてきて、その実験を一緒に作成するものです。作成過程で失敗もありましたが、なぜ間違っているか一緒に考えながら作成できました。
日本文化教室
日本文化紹介ではお箸の使い方や、日本語のあいさつ、ジブリの映画鑑賞などを行いま
した。実際に視察の旅で親が配属先に来た時にも、皆んな日本語であいさつできていました。
現地での活動や生活(隊員生活)で得たもの
得られた物は多様性を受け入られる価値観と忍耐力でしょう。
モザンビークでは雨水しか使えなかったり、気温44度になる中、停電し扇風機すら止まるような環境で生活していました。日本ではあり得ないような日々でしたが何事にもマイペースなモザンビーク人を見ながら、自分も自分でできる範囲でやればいいと、気楽にあり得ない状況を受け入れていく事ができまいた。これは新卒で来たからこそ出来たことかもしれませんね。環境や人の価値観や文化が違う中生活する事で大抵のことには動じなくなり、忍耐力もつきました。
新卒だから出来たと思うこと、逆にもっとやっておけば良かったこと
出来なくて当たり前、とりあえずやってみる精神で活動していたので、そこら辺は新卒
ならではで無いでしょうか。授業でも日本の教員経験がないので、価値観を押し付ける事なく同僚と話し合いながら活動できたと思っています。
逆にマイペースなモザンビーク人に慣れ過ぎて活動が遅れるなどのこともあったので
、意思を強く持っとけばよかった場面は多々ありました。
~協力隊全般について~
訓練所での感想
訓練所では、年齢・職業がバラバラで色々な人がいて楽しかったし、辛くもありました。ただ、訓練所で初めて習うポルトガル語だったので、語学が一番苦労しました。
語学の先生にもかなりプレッシャーを与えられてたので、語学は必死でやってました。
なので、もっと講座や同期と関わる時間を大切にしとけば良かったなとも思います。
選考時はどんな面接だったか
理科教育は2種類面接があって
①人物面接
なぜ協力隊を応募したのか?
アフリカを希望しているのはなぜか?
②技術面接
内容は忘れましたが、高校物理の基本的なことを聞かれました。
何故受かったと思うか
やはり協力隊で一番大切なのは、健康だと思います。実際、現地で病気にかかっても救
急車はもちろん、適切な治療を受けれるとは限りません。
次に、熱意だと思います。志望動機や赴任国、帰国後の進路に一貫した動機があるかが重要になっていると思います。
理科教育に関して言えば倍率も低く、技術面や教員経験よりは上記のことが重要になっ
ているとは思います。
協力隊終了後の進路
今後の進路には、ポルトガル語を活かしてみたいなと考えています。
現在、日本には多くのブラジル人労働者が家族を連れて住んでいます。その中の子供には、日本語が分からないまま公立学校に入学し、日本語が分からないままの環境で友達もできず、授業にもついていけず、不登校になるケースもあります(外国人の修学義務もありません)。そのような子供になんとか関われないかと現在考えてます。
~語学について~
協力隊の面接受けた時の語学力は?
T O E I Cのスコアは490くらいで応募しました。
結果的にポルトガル語をやったので、全然英語のスコアは関係なかったですね。知ってるポルトガル語なんてカステラくらいでしたから。
なので、応募できる最低ラインの英語さえできれば受かる可能性はあります。
現地で語学は通用しましたか?
公用語はポルトガル語で、授業もポルトガル語でした。大半のモザンビーク人には通じました。市場にいるおばさん達に現地語で話かけると野菜おまけしてくれたり、喜ん
でくれるので、仲良くなりたい場面では現地語も使ってました。
現地語教えて!って言ったら喜んで何時間も教えてくれました。
どのように語学を勉強したか?
ポルトガル語は動詞に変化があり、規則的に変化するものとしない物とか色々あって、最初はひたすら暗記でした。現地ではポルトガル語の教材買ったりもしましたが、一番良いのは仲良い人と遊んだり飲みに行ってひたすら喋ることだと思います。
喋っていると、教科書には出てこない独自の表現だったりも結構ありました。
問い合わせ先メールアドレス(なんでもお気軽にどうぞ!隊員の紹介も可能です)
shinsostunohonne@gmail.com まで!