ザンビア共和国 体育
自己プロファイル
派遣国:ザンビア
隊次(具体的な派遣期間):2018-1(2018年7月~2020年7月)
協力隊派遣前の専門学校・短大・大学(所属学部やゼミ):東海大学体育学部卒業、体育教育学系ゼミ
応募時の資格:英検準2級、中高保健体育、中高英語科
職種:体育
配属先:パラメデス中等学校(グレード8~12)
活動対象の人:配属先の教員、生徒
要請内容:
保健体育授業の実施
上記の学習改善(指導方法の改善など)
スポーツクラブの実施、スポーツイベントの企画、運営、引率
自己紹介
高校時代から教員を目指していたが、大学卒業が迫るにつれ「このまま教員になったら、何も知らない私が生徒に何が伝えられるのだろうか」という気持ちが強くなった。そして大学の教授や知り合いに勧められ、世界を見よう!と協力隊の道を選択。JICAの制度がしっかりしているところも、決め手のひとつだった。
現地では、体育授業(理論、実技)の実施、教員と教育実習生の実技授業のサポート、放課後のスポーツクラブやイベントの運営、補助などを行った。身近なものを活用して作れるツールの紹介や、知名度の低いスポーツの紹介等も併せて行った。また、日本文化紹介や日本語教室を開き、異文化理解に務めた。
現地でのことについて
①現地で活動して良かったと思った瞬間
・子どもたちが元気いっぱいの笑顔で喜んでくれた時
現地の子どもたちは、何をしても喜んでくれます。現地語で挨拶したとき、1分でも話をしたとき、転がってきたボールを蹴り返したとき、彼らが知らないスポーツの技を見せたとき、パソコンを触らせてあげたとき、カメラで写真を撮ってあげたとき。
「こんな小さなことで、、!」と思うくらいすぐ喜んでくれ、笑顔を見せてくれる。それは学校に行けている子どもも行けていない子どもも同じでした。彼らの笑顔を見ることで、私はそこにいた意味をいつも見いだすことができていました。
②活動で苦労or 辛かったこと、どう乗り越えたか
・現地の教員が私のことを一人前の教員として見てくれなかったこと
初代として赴任したのですが(私が初めてのJICAボランティアだった)、教育実習生だと思われたり、校長先生含め先生方が全くJICAの意味をわかっていなかったり。ザンビアでは年齢や経験が指標になり、若くて経験のない私は、教育実習生のようにこき使われていました。授業やイベントのまとめをしていても、来てくれるのは生徒と新人の教員(たまに)だけ。力量もあるかもしれませんが、結局最後まで変わることはなく、生徒に気持ちが伝われば!と思い最後までやり通しました。
③要請内容への取り組みとその後
・「楽しい!」「できた!」を仲間と感じることができる授業の実施(スポーツマンシップ、チームワーク、作戦立て、反復練習の大切さ)
→生徒の関心や意欲が高まり、実技の出席率アップやクラスの雰囲気の良さに繋がった
・チームティーチング(用具などを利用した授業方法の共有、正しいウォームアップやクールダウンの共有)
→大切さはわかったようだが、意欲を引き出すことができず、継続性のあるものにはならなかった
・週2回のスポーツデイの運営(放課後のアクティビティのこと。赴任時は行われてすらいない状態だった)
→マンパワーとして全校生徒に運動の楽しさを伝えることはできたが、現在も行われているかも不明
④要請内容外での取り組みと展望
・日本文化紹介
→学校での日本語教室、日本を知ろうの会?、他任地での日本祭などを行い、中国人や韓国人との区別を付けること、アジア人差別などの差別的考え方をなくすこと、日本語の挨拶などを通して関係作りをすること、などにつながりました。
・孤児院訪問
→首都や任地にある孤児院を訪問して現状を知り、任地の孤児院に対しては物資の援助や学習支援などもすることで、彼らの成長の手伝いになったと思います。
⑤現地での活動や生活(隊員生活)で得たもの
・素晴らしい&一生ものの出会い
訓練所でも任国でも色んな人に出会って、「こんな生き方もあるんだ~」「自分にはもっとこんなことができるな」と、かなり視野を広げることができました。また、隊員生活で出会った人たちとのつながりは途切れることがなく、今でも深まるばかりです!
・エネルギー!!
さらに、隊員みんなから出てくるエネルギーは無限大!!任国にいるときも、帰国してからも、刺激を受けてばっかりです。
⑥新卒だから出来たと思うこと、逆にもっとやっておけば良かったこと
・子どもたちと一緒に全力で動けること
純粋で元気な子どもたちと動けるのも、若いうちだと思います。動く元気や体力はいくらあっても足りません!
・可愛がられたこと
見た目が子どもっぽいからか、ザンビアでは「あんたは娘みたいなもんよ!!」と、たくさんのことを教えてくれたりやってくれたりした人が多かったです。
・もっと経験を積んでから行けば良かった
ぶっちゃけ、経験なくして行ったことでハンデになることも多かったです。文化的に年下がこき使われてしまうこと、下の意見はあまり聞き入れないこと、などなど。もっと経験を積んでから行けば良かったのかなと思いました。
協力隊全般について
⑦訓練所での感想
楽しかった!!
月曜日から土曜日の午前中までみっちり言語の勉強やワークショップをして、正直とても疲れました。集団生活が苦手な人には少しきつい70日間だったと思います。また、すぐ近くにコンビニなどもなく、車もなく、途上国にいるような感覚になります。
しかしその中でも、人との出会いがその訓練を楽しいものに変えてくれました。いろいろな経験をしてきている人の話を聞いたり、そんな人たちと一緒に何かを作り上げたり、刺激がもらえるという環境が、つらかった訓練生活も楽しいものに変えてくれたと思います。
⑧選考時はどんな面接だったか
・志望理由
・日本の学習指導要領について
・どんなことを任地で行いたいか
・このようなことが起きたら、どうするか
あまり記憶にありませんが、このようなことを聞かれたと思います。
⑨何故受かったと思うか
・気持ち!!
前の項目に質問された内容を書きましたが、正直私たちが何を答えるかより、人間性や気持ちの強さを見られていた気がしました。途上国で生活できる体を持っているか、異文化の中で耐えられる気持ちを持っているか、問題が起きたときに上手く対処できるかどうかなど。自分の気持ちを整理して臨み、それが伝わればいいのではないでしょうか??
⑩協力隊終了後の進路
・現地で時間を上手く使い、勉強しておけば良かった!
現在は、協力隊活動が地域に還元できるようなアルバイト(地域おこし?)をしています。しかし、なかなか時間がなく、勉強などやりたいことが進みません。派遣国にいたときにもう少し時間を上手く使い、勉強をしたり本を読んだりすれば良かったと思っています。また、派遣国にいる間の時代の変化はものすごいです。2年も日本を空けると、ついていけないことがたくさんです。そのため、ある程度のニュースなどは見ておいた方がいいと思います。
語学について
⑪協力隊の面接受けた時の語学力は?
・英検準二級
体育の教員免許と同時に英語の免許も取得したため、大学の時にある程度は勉強していました。しかし検定などは英検準二級しか持っていなく、会話はとても苦手でした。英語の上達を感じたのはやはり訓練所にいたときで、英語で授業をしたときに使い回しや表現の仕方を学べたことが大きかったと思います。しかし、やはりベースとなったものは訓練所に入る前に勉強していた単語や熟語のため、知識を入れておくことは大切だと思います。
⑫現地で語学は通用しましたか?
・通用したが、、?
ザンビアは英語が公用語ですが、英語が通じるのは町の半分くらいだったと思います(地域差有り)。また、英語が話せても日常生活はほとんどの人が現地語を使うため、現地に溶け込みたいのであれば、現地語をかなり勉強した方がいいです。しかし、言語はただの言語、1つのツールでしかなく、ザンビアにも、かたことの英語でも頑張って話す人、隣の国から言語もわからず来て商売をする人、色んな人がいました。なので、頑張って学ぶ気持ち、伝えようとする気持ちが表れれば何でも通用します!
⑬どのように語学を勉強したか?
・ルールを理解する!
これは私の個人的な意見ですが、どの言語にも必ずルールがあって、特に現地語のようなローカル言語を学ぶ場合は、そのルールさえわかってしまえば簡単です。ちゃんとした教科書などがない場合も多いので、(例)現在形と過去形の文をいくつか書いてもらい、何が違うか、どこが変わっていないか、など間違い探しをするとそのルールがわかると思います。また、話すことで自然と言葉が出てくるようになるはずなので、間違いを怖がらずどんどん話すことが大切だと思います。