ウガンダ共和国 任国の暮らし Part ②
『任国の暮らしPart②』の今回は
隊員の中でも特殊な活動だった
“サッカー選手”
としての活動内容を紹介します。
・どんなチーム?
・どういう経緯で?
・どんなレベル?
・契約は?給料は? などなど…
ウガンダでの実体験を
書き記していきます!!
どんなチーム?
自分は教師として活動する傍ら、
サッカーチームに入団しました。
“Busoga United Football Club”という
Uganda Premier Leagueに所属する
ウガンダのサッカーチームです。
Busoga United FC - Uganda Premier League (upl.co.ug)
自分が入団した時は、
“Kirinya Jinja Senior Secondary School”
というチーム名でした。
お気づきでしょうか??
国内トップリーグのチーム名が
“セカンダリースクール”なんです。
元々Jinja(ジンジャ)という街の
”Jinja Senior Secondary School”の
校長がサッカークラブのオーナーになり、
チームを買い取ったことでできたために
このチーム名になりました。
どういう経緯で?
では、なぜ自分がこのチームに
入団することができたのか…
結論から言うと
“タイミングが合ったから”
としか言いようがないです。
①隊員の3代目として
“Jinja SSS”に配属されたこと
②チームの練習試合に参加した時に
たまたま調子が良かったこと
③その試合が後期シーズン開幕の前1ケ月で
選手登録の締め切りが近かったこと
などなど
自分の先代隊員が、
チームのアカデミー選手たちに
アフリカには馴染みのない
パスサッカーを指導していたこともあり、
監督やコーチが自分のプレーを
気に入ってくれたのも大きな理由で、
勝手ながらそういった繋がりを
感じることもありました。
試合をした直後に監督から
“契約してくれ”と言われ、
チャンスだ!!と思った自分は
事務所に許可をとることもなく
お金をもらわない約束で
契約をしました。
こんなもんか~と思った契約でしたが、
翌日の新聞にはウガンダリーグ初の
日本人選手(正確には2人目だったぽい?)
として新聞の一面を飾り、
ネットやメディアのインタビューも
押し寄せてきて、嬉しかったのは事実ですね笑
日本人選手の坂口正高、ウガンダ1部のキリニャ・ジンジャに加入! (qoly.jp)
その後は、事務所からの報道訂正や
契約内容の確認など、ごたごたが
ありましたが、プレーさせてもらえることになり
その点も、寛容な事務所の意向に感謝でした。
どんなレベル?
16チームで戦われるプレミアリーグでは
最高順位は5位。降格経験はありませんが
例年中位から下位で終えることが
多いチームレベルです。
個人のレベルでは、一緒に練習や
試合をしていたチーム内でも
選手ごとに大きく差があり、
大学サッカーでもめっちゃ下手だろ!
ってくらいの選手もいれば、
Jリーグでも全然できるな!って思う
選手も居たりしました。
ちなみに…
ユース年代のアカデミーチームの
コーチも兼任していたのですが、
想像力溢れる若い選手たちは
将来性がハンパないな!!
と思えたのは1番の収穫でした!
契約は?給料は?
プロ選手と聞くと、気になるのは
給料や待遇ですよね!
チームによっても個人によっても
かなり大きな差がありますが、
所属していたBusoga UFCで話すと、
基本給:400,000UGX~2,000,000UGX
(日本)約15,000円~約70,000円
勝利給:50,000UGX
(日本)約2,000円
引分給:20,000UGX
(日本)約800円
でした。
一緒に働いていた数学教員の月給が
800,000UGX(約30,000円)です。
なんとも言えないですよね。
結婚も早く、家庭をもっている大人が
多いので、生活にかかるお金は
一家庭でおよそ600,000UGX(約20,000円)
なので、これまたどうかといったところです。
ちなみに…
挟んだ向かいのブカヤにある“BUL FC”。
リーグでは優勝争いは難しいものの、
例年5,6位をキープしている古豪です。
Home page | BUL FC | Official Website
こことはナイルダービーとして激しい
試合を繰り広げていたのですが、
そこに移籍した選手から聞いた話では
基本給:1,000,000UGX(約35,000円)~
勝利給:400,000UGX(約15,000円)
引分給:200,000UGX(約7,500円)
だそうです。
母体が学校ではなく、「Fortune」という
食品会社なので、資金があるようです。
選手として過ごしてみて
ひょんなことから契約をして、
選手として取り組んだ活動でしたが
教師としての活動との両立は
厳しいところがありました。
選手として全振りすることもできず、
中途半端になってしまったことは
少し悔やんだこともあります。
それでも活動と繋がりができたり、
出会った仲間や過ごした時間は
今となっても人生の宝なのは間違いないですね。
素敵な時間に感謝感謝のサッカー生活でした!