新卒のホンネ!~協力隊活動を通して~

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スリランカ民主社会主義共和国 小学校教育

 

自己プロファイル

派遣国:スリランカ民主社会主義共和国

隊次(具体的な派遣期間):2016年度2次隊(2016.10-2018.10)

 

協力隊派遣前の専門学校・短大・大学(所属学部やゼミ):

茨城大学 教育学部 社会科教育選修

 

応募時の資格:

小学校教諭一種免許状 

中学校教諭一種免許状(社会) 

高等学校教諭一種免許状(地理歴史) 

高等学校教諭一種免許状(公民)

職種:小学校教育

 

配属先: 北部州政府 教育省教育局 南バブニヤ教育事務所

活動対象の人:

教育事務所のISA(指導主事)、管轄内小学校教員、管轄内小学校児童

 

要請内容:

小学校を巡回し、担当地域の小学校の現状と課題の把握。

モデル校を選定し、直接指導を行いつつ、英語や算数学力の向上、低学力児の支援、教具の効果的な使用法などについて教員への助言を行う。

教員対象のワークショップで講習を行う。

学校・教室環境の整備の支援を行う。

他地域に派遣されている小学校教育隊員と連携して教材作成や講習会を行う。

 

自己紹介

大学4年の9月、この年の教員採用試験に不合格となり、大学院進学へ向けて準備していたとき。「俺、協力隊受けようかなぁ」と隣にいた友達がつぶやいた。

 

「えっ、面白そうじゃん。」そこから、まさかスリランカに実際派遣されることになるなんて思っていませんでした。

 

「将来社会科の教員になるうえで、世界を自分で経験してきたい」

 

「彼女に振られたし、何か自分の人生を変えるチャンスなんじゃないか」

 

そういう気持ちから、私の協力隊は始まりました。

 

大学院と協力隊の合格通知が届いたのはほぼ同時。

 

当時の指導教授の「行ってきなさい」に背中を押され、大学院を休学し2016年7月から駒ヶ根訓練所に向かいました。

 

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大家さん一家と。
WFP(国際連合世界食糧計画)に勤めていて、家族の一員として迎えてくれていました。

まずはじめに

①自分にとっての協力隊とは

青春の最後の1ページです。

 

駒ヶ根訓練所に入所した日から帰国した日まで、とにかく密度が濃い期間でした。日本人・外国人問わずに、多くの仲間からたくさんのことを学びました。

 

出会った人、過ごした時間すべてが宝物です。

新卒で経験することができた協力隊の経験は、

私の人生を豊かにしてくれる礎です。

 

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現地の先生方向けのセミナー。

手洗いの重要性について、タミル語で説明中。

教科指導だけでなく、保健指導も課題でした。

現地でのことについて

②現地で活動して良かったと思った瞬間

子ども達が笑顔で迎えてくれる瞬間、子ども達と一緒に遊ぶ時間、子ども達が「分かった!」と言ってくれる瞬間、そして先生方がそれを笑顔で見ている瞬間。スリランカの学校で過ごす日々がかけがえのないものでした。

 

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休み時間になると校庭で元気に遊びます。
スリランカにはこういう木がいろんなところに生えてて、ターザンロープのように遊んでいました。

③活動で苦労 or 辛かったこと、どう乗り越えたか

Ⅰ.

なんといっても言葉が通じなかったこと。

コミュニケーションができないって本当に大変でした。

英語ができる先生に間に入ってもらったり、

図を使ってみたりして説明もしました。

それでもスリランカの人たちは優しく接してくれたので、その優しさに救われました。

 

Ⅱ.

低学力児に対して、宗教からくる価値観の違い。

体罰の常習化。

これに関しては、答えが出ませんでした。

私が思う価値観が正しいとも言えないから・・・。

 

Ⅲ.

内戦からの復興を理由に派遣されていたが、

任期中に民族対立が起こり、

巡回校のモスクが燃やされてしまったこと。

 

多分この先、この出来事以上の虚無感を感じることはないかも知れない。

 

④要請内容への取り組みとその後

巡回校45校、モデル校での支援計9校、セミナー開催11回、算数テキストを作成し管轄内小学校4年生全員に配布。

これが数字としての私の活動結果。

 

とにかく子どもと全力で関わり合い、

先生たちと時には体罰をめぐって喧嘩をしながらの活動でした。

 

私が2代目でしたので、

後任の隊員へ引き継ぎましたが新型コロナウイルスの影響で派遣が中止、

活動が止まってしまっていることを心配しています。

 

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黒板が使えなく、廊下でやることも。
算数の繰上りがある三桁の足し算。

⑤要請内容外での取り組みと展望

スリランカの北部州、

5つの県にそれぞれ一人小学校教育隊員が派遣されていたので、

小学校教育部会を結成し、チームで活動したりしました。

(内戦の舞台となったこと、タミル語地域であること、インフラが低レベルであること、共通点がたくさんあったため情報共有も図りました)

 

部会でセミナーを各県で実施し、

体育隊員や幼児教育隊員とも連携しました。

 

自分達で現地の教員養成校にアポをとり、

学生たちにセミナーもしました。

 

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教員用養成校でのセミナー。フルーツバスケットを行っているところ。
言葉が通じづらくても、楽しくやればOK!

⑥現地での活動や生活(隊員生活)で得たもの

得たものは本当に多いですが、4つだけ紹介します。

 

Ⅰ.生活力!

同期の中で唯一の一人任地だったので、ある程度のことを自分で乗り切れるようになりました。

 

Ⅱ.行動力!

自分から動かないと何も始まらない!

 

Ⅲ.当たり前に感謝する心!

言葉が通じるって素晴らしい、水に困らないって素晴らしい。

きれいなトイレがあるって素晴らしい。平和って素晴らしい。

 

Ⅳ.マイノリティの経験!

日本に住んでいて、日本語を話しているだけじゃ分からない事。

 

⑦新卒だから出来たと思うこと、逆にもっとやっておけば良かったこと

スリランカ隊員を代表して幹事会の幹事長として、

大使館での挨拶や帰国報告会の企画・運営などを行いました。

 

新卒でしたが、他の隊員の方々が経験を積むために任せてくれたのだと思います。

 

同期のみなさんは、新卒に非常によくしてくださったなぁと思います。

 

活動では、日本での教育経験がないからこそ、

スリランカの教育をあるがまま受け入れることからスタートできたかなぁと思います。

 

 少し後悔していることは、新卒だからと言って怖気づかないこと!

若いんだから失敗するのが普通くらいの気持ちで、

たくさんのことに挑戦すればよかったなぁと思います。

 

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配布した算数テキストに取り組む児童。
これで先生が学校にこなくても、学びは止まりません。また、反復学習もできます。

協力隊全般について

⑧訓練所での感想

駒ヶ根訓練所での派遣前訓練でした。

訓練所に入ったときに思ったことは、

「とんでもない空間にきてしまった」でした。

 

新卒の私からみると、周りは社会で豊富な経験をされてきた先輩方ばかり。

「大人な」考え方や話し方をされる先輩方と過ごす教室や、

生活班では非常に緊張していました。

 

でも、1週間をすると「先輩方」は「同期隊員」になりました。

一緒に学び、一緒に考え、お酒を飲む中で本当に多くのことを教えて頂きました。

駒ヶ根訓練所、また行きたいなぁってぐらい最高の空間でしたよ。

 

ぜひ、毎日「青春」してください!

 

⑨何故受かったと思うか

小学校の教員免許を持っていたことが大きいかなと思います。

 

あとは、体が健康だったこと!

 

協力隊の試験は「落とす」じゃなくて、

「採用する」という視点だと思うので、

何よりも熱意が大事だったんじゃないかなぁとい思います。

 

⑩協力隊終了後の進路

大学院を休学しての参加だったので、

帰国して5日後には復学して大学院で研究を始めました。

 

戻る場所がはっきりしていたので、日本に馴染むは早かったです。

 

協力隊で「言葉」がもつ重要性に気付いたので、

大学院では学校の授業において教師がどのような声掛けを行うのかという研究を進めました。

 

大学附属の中学校で非常勤講師を勤めながら、

出前講座も積極的に参加しました。

 

大学院修了後は、公立の中学校に社会科教諭として採用されました。

 

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百マス計算にかかった時間を一人ずつiPadで管理し、
自分の成長をグラフとして見ています。

語学について

⑪協力隊の面接受けた時の語学力は?

はっきり言って、英語のレベルはかなり低かったです(高校では赤点をとったこともあります…笑)。

英語なんて大学2年生から勉強してなかったし、

大学院の入試もあるしという感じで、3か月ほどの限られた時間で必死に勉強しました。

結果として初めて受けたTOEICのスコア(450点くらいだったかな?)で応募しました。

 

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小学校教育隊員で協力して作り上げた4年生向けの算数テキスト。
日本の教科書とスリランカの教科書の良いところをとって、タミル語で一から作りました。
作成は隊員、印刷・配布は配属先、JICAのロゴも入っています。

⑫現地で語学は通用しましたか?

活動での使用言語はタミル語でした。

駒ヶ根訓練所ではタミル語の訓練はなかったため、

英語の訓練を行い、現地に派遣後、英語でタミル語を習得するという流れでした。

 

スリランカ到着後、コロンボで1ヶ月間語学訓練がありました。

その間、現地のメジャー言語のシンハラ語が話せなかったため、非常に苦労しました。

 

なんとかタミル語訓練を終え、任地に派遣されましたが、

一カ月で身に付けたタミル語は本当に拙いもので苦労しました。

 

任地では英語はほとんど使用されていなかったので、

最初の一年間はコミュニケーションに苦労しました。

 

⑬どのように語学を勉強したか?

最初は難解なタミル語に本当に苦労しました。

 

伝えたいことが何も伝わらない、

相手も必死に聞いてくれようしていることが尚更辛い。

 

「いったい言葉も喋れないこいつは何をしに来たんだ」

そう思われているように感じていました。

 

とにかく話して覚えるしかないと思い、

小学校一年生と一緒にタミル語の授業を受けたりもしました。

 

今振り返ると、少しだけ向上したと言えるタミル語

 

ポイントは2つかなと思います。

 

①子ども達・先生方ととにかくタミル語で関わったこと。

 

セミナーという大仕事を自ら抱えることで、セミナーをやり遂げるために必死にタミル語で原稿を作ってみる事でした。

 

とにかく自分が話せるレベルで勢いで喋る!!

 

これが案外うまくいったかもしれません。

 

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配属先の教育事務所のISA(指導主事)の先生方と。
言葉もカタコトの若造を本当によく受け入れ、
助けていただきました。
同僚たちの教育に対する思い、
今でも尊敬しています。