スーダン共和国 エジプト・アラブ共和国 環境教育
自己プロファイル
派遣国:①スーダン共和国 ②エジプト・アラブ共和国
隊次(具体的な派遣期間):2018年1次隊
スーダン(2018年7月2日~2019年4月14日、クーデターにより退避、任国振替に)
エジプト(2019年8月14日~2020年3月19日COVID-19により退避)
協力隊派遣前の専門学校・短大・大学(所属学部やゼミ):信州大学理学部地質科学科
応募時の資格:普通自動車免許、TOEIC公開テスト550点、実用フランス語技能検定4級、中学校教諭一種免許状(理科)、高等学校教諭一種免許状(理科)、環境内部監査員
職種:環境教育
配属先: スーダン:青年スポーツ省/Youths Center(ユースセンター;スポーツ施設のある公民館のような所)
エジプト:教育省事業管理部/Egyptian Japanese School(エジプト日本学校;日本式教育である特別活動を導入している幼稚園付きの小学校)
活動対象の人:スーダン:子供から大人まで(6歳から40代まで)の地域住民と配属先スタッフ、
エジプト:教員・幼児・児童
要請内容:スーダン:①配属先スタッフに日本の環境教育の取り組みを紹介する。②ユースセンターで月1,2回開かれているイベントで青少年、子供を対象とした環境教育に関するレクリエーションを企画・実施する。③環境教育に関する教材やアクティビティマニュアルを作成する。
エジプト:①教育省と協力して、校内美化、地域美化につながるイベントやワークショップなどの提案・企画を行なう。②将来的に、1の企画をモデル/マニュアル化して全国展開することも視野に入れる。③日本文化紹介イベント等の企画・実施
~自己紹介~
元々は教員になろうと思っていたため教育分野に興味がありました。また、田舎育ちで自然が好きで、学生時代も環境に関する学生委員会に属していて、環境分野にも興味がありました。更に、大学時代に一般教養のゼミで初めて行った海外でマレーシアのボルネオ島の民族独自の暮らしに触れ、国際分野にも興味を持ちました。教育・環境・国際という興味のある三分野が揃った仕事を探していて、ヒットしたのがこの青年海外協力隊の環境教育という職種であり、見つけた瞬間に直感で「これやりたい!」と思ったのが最初の動機です。
また、就職活動中に感じたこととして、みんなが同じスーツを着て、同じような髪型をして、説明会に行って…
これに違和感を感じ、レールに敷かれた人生は嫌だった、というのもあります。
また、私はお金がない貧乏学生でした。けれど体力のあるうちに、世界の現状を自分の目で見たかったということもあります。協力隊は経済面での手当や制度が手厚かったので、その心配もありませんでした。
~現地でのことについて~
現地で活動して良かったと思った瞬間
途上国で生活できているだけでも日々良かったなと思っていましたが、特に良かったと思った瞬間を挙げると、
・自分が指導した際に理解してくれた瞬間は嬉しかったです。学校で環境教育をしていて、子供に授業をして、先生も一緒に聞いていました。そして、話を聞いていた先生が授業後に他の先生に、私の授業内容を伝えてくれていた。理解してくれたのも嬉しかったし、現地の人同士でアウトプットして、それが広まっていくのも嬉しかったです。
・子供と遊んで笑顔になったとき。子供と遊んでいると自分も楽しいし、笑顔に癒されます。そのうち仲良くなって、遊ぼうとせがまれるようになるのも嬉しかったです。
活動で苦労or 辛かったこと、どう乗り越えたか
スーダン:環境教育隊での派遣でありましたが、配属先に誰も環境に関する知識を持った人がいないし、全く興味も示さなかったので、どうしようかと悩みました。しばらく粘って活動しましたが、よくよく考えると、そもそも配属先がスポーツ施設でした。スポーツを楽しみに施設に行ったのに、「何故興味もないゴミについての話に付き合わされなければいけないんだ」という気持ちになるのは当然だと思いました。なので、環境教育はほどほどに、一緒にスポーツをして人間関係作りをしました。
一方で、先輩隊員がいる学校で活動させてもらいました。ボランティアを受け入れているだけあって日本人への理解もあり、何より学校は「教育の場」なので適所だと感じました。
エジプト:スーダンでの経験があったので、とても柔軟に対応でき、苦労したことは特になかったです。
またスーダンでは、政権へのデモンストレーションが活発に行なわれていたときは、JICA命令で自宅待機になって活動に行けませんでした。
クーデターやコロナウイルスによる緊急事態に国が陥った時には、私達協力隊は緊急帰国となり、自分ではどうすることもできない問題であり、辛かったです。
要請内容への取り組みとその後
スーダン:ユースセンターを訪れた少年たちに、なんとか10分だけ時間をもらって、紙芝居や教材を使って、ゴミの問題と私達への影響について話をしていました。また、一回だけですが、少年たちと施設内のゴミ拾い活動を実施しました。しかし、スポーツ施設での環境教育ということで難しさはありました。
エジプト:現場である学校は、教員の質の向上や、日本の特別活動の質の向上への助言を求めていました。そのため、特活と環境教育に関連して指導できそうな清掃活動の指導に重きを置いて活動しました。また、環境教育の授業を模擬授業のような形で自ら行うことで教員の質の向上に繋げました。
そもそも要請内容はあってないようなものです。募集時にその要請があったとしても、選考~訓練期間を経て、ボランティアが赴任するときには、その要請を出した現地機関の人事が変わっているなんてよくあること(国にもよりますが、途上国の人事変更は突然だし、早いです。)。それに、その配属先を管轄している上の機関から要請が出されることが多く、上の偉い人は現場にあまり出ないため、実際の問題点などの詳しい現状を知らないことも多いです。そのため赴任された所で、現場のニーズを汲み取って、そのニーズに合わせたことをやるのがベストだと思います。
要請内容外での取り組みと展望
スーダン:配属先とは全く関係のない、先輩隊員が活動する学校で、環境教育の授業をさせてもらいました。
・先輩隊員が企画した環境絵画展のお手伝いをさせていただきました。
これは、「みんなでつくる綺麗で健康な街」をテーマに学校で子供に絵を描いてもらい、それを集めたものを展示する会です。当日は展示するだけではなく、その場で絵を描いてもらったり、環境教育アクティビティも行いました。
エジプト:スーダン難民施設にて教育支援の活動を行なっていました。元スーダン隊ということもあり、ゆかりのある人への活動でした。音楽・美術の情操教育や、英語を教えてほしいという要望から、簡単な英語も教えていました。
現地での活動や生活(隊員生活)で得たもの
・忍耐力
時間通りに人は来ないし、そもそも来ないこともある。狭いバスでの長距離移動。断水が何日も続いたときは溜めておいた水と、ペットボトルの水だけの生活。自分を受け入れてもらうために、環境のことを我慢強く話したり、人間関係作りをしたり…。とにかく耐えることが多く、打たれ強くなりました。
・柔軟性
特に2か国目となったエジプトで発揮され、実感しました。JICAからもらった要請内容と、現場の求めていることの違いに即座に気づいて、柔軟にニーズに対応できました。また授業時に、教室の機材がうまく機能しなかったときには、即座に紙媒体を使っての授業に切り替えたり、臨機応変に対処できるようになりました。
・かけがえのない経験
協力隊に参加しなければ経験できないことがたくさんありました。
新卒だから出来たと思うこと、逆にもっとやっておけば良かったこと
・社会人経験がないため、こうすべきだと上の人から教え込まれたものもありませんでした。何の型にも捉われることなく、自分自身で試行錯誤しながら柔軟に、現地の人達に合わせながら自分のやり方で指導することができたと思います。
・子供と同等の体力で遊べることです。学校に行けば、一緒に遊ぼうとせがまれるし、遊ぶことは仲良くなるために大切なことです。その大事な遊びに長く付き合えるというのは、若い協力隊員のメリットだと思います。
・新卒とは関係ないですが、観光は早めに行き始めた方がいいです。ほんとにいつ帰ることになるかわかりません。活動に打ち込むのもいいですが、まだ任期があると油断せず早めに行っておくことをお勧めします。
~協力隊全般について~
訓練所での感想
訓練期間は語学の勉強に集中していたり、新卒で貯金がほとんどないため、毎週のようにある飲み会にほとんど参加できなかったりと、180人近くいた同期隊員の中でも交流がなかった人も結構います。今思えば、もっと多くの人と関わりを持っておけばよかったと思います。しかし、毎日が刺激的でした。座学だけでなく、ゲームを通しての学びや所外活動、放課後にある隊員が企画する自主企画などがあり、とても有意義な学びの場でした。また、個性的で、色んなバックグラウンドの人と話ができ、為になりました。
楽しく過ごしていました。
選考時はどんな面接だった
人物面接と技術面接があります。
正直とても緊張していたので、内容を完全に覚えていたわけではありませんが、面接直後に質問内容をメモしてました。
人物面接:
・志望動機
・その動機を深堀する質問
・言語以外で不安なこと
・生活は問題ないか?(電気、水道、食べ物など)
・なぜ代表になろうと思った?(学生時代に学生団体の代表をしていたことから)
・社会還元が帰ってきてからあるが、どのように還元、伝えていく?
・(教師として還元していくと答え)どういう教師像を目指す?
技術面接:
・自己アピールを一分で
・どうやったら人と人とがつながれる?
・今までの指導経験とその手ごたえ
・どういうところにこだわりを持って指導してきたか?
・なぜ第一志望にこの国を選んだのですか?
・NGな国、NGな要請はありますか?
どちらも書類選考時の書類に書いたことを深堀して聞かれた記憶はあります。
何故受かったと思うか
気持ちの部分は大事だと思います。
面接で、「俺を行かせてくれ」オーラを自分の中では出してました(笑)。緊張はしてたけど、それ以上にワクワク感と言うか、キラキラしていたというか、自分の中では気持ち的に明るいものが勝っていた記憶があります。
また、面接の最後の質問で、「小学校教育や理科教育の隊員が足りていません。教員免許を持っている人は、もし環境教育で不合格になればそちらに振替合格に回すこともできますが、それに同意しますか?」と言われたが、「私は環境教育で勝負したいです」と答えたのだけは覚えています。そこでしっかりと覚悟を示せた。「もし何でもいいから協力隊に」と思って逃げでその質問に同意していたら、受かってなかったかも、と思っています。
協力隊終了後の進路
教員になりたい気持ちは今もありますが、教員は資格職なのでなろうと思えばいつでもなれます(もちろん勉強して)。その前に、多くの人が就く日本の民間企業で経験を積みたいなと考えています。その企業もどういう職種で仕事をするのか、まだ少し考え中です。
~語学について~
協力隊の面接受けた時の語学力は?
この協力隊応募のためにTOEICを初受験。協力隊受験資格の330点を超えられるか不安でしたが、結果は550点。高くはないけど、受験資格を得る点数を取れました。大学では英語で論文を読まなければならないし、英語に触れる機会はあったから、特別力を入れて勉強しなかったです。また、大学二年時に第二外国語でスペイン語を履修し、大学三年時に余剰単位だけど、フランス語を履修しました。その流れでフランス語検定4級を取得しました(でも4級はすごくない。実際3級まで取りたかったし、3級まで取っておいた方が役立つ)。しかし、結局どれも簡単な表現や基礎はわかるけど、飛びぬけたものがなく中途半端になってしまいました。何か自分の武器になる言語を一つでも身に着ける方が強いと思います。
現地で語学は通用しましたか?
私は大学時代に複数の言語を学びましたが、派遣国での使用言語はアラビア語で初めて学ぶものでした。正直、二ヵ月半の訓練で学んだだけでは、現地ではほとんど通用しないです。ネイティブの話すスピードではついていけないです。また、アラビア語は国それぞれの方言があるし、口語表現も多いため、現地に馴染みながら、言葉は学んでいくことになると思います。赴任してすぐに現地語学訓練もありますし、それが終わってからも勉強していく必要があります。場所によっては英語も通じるところもありますが、現地語を使った方が現地の人も喜んでくれるし、人間関係作りのためにも、現地語を使う方が良いです。
どのように語学を勉強したか?
大学はどれだけ単位を取ろうが、年間の学費は同じだから、私は大学の授業を利用して英語以外の語学を勉強していました。訓練所に入って一から学ぶより、元の基礎があった方が絶対に有利です。(でもいくらある言語を勉強していても、どの国に派遣されるかはわかりません。)
訓練所では移動中もイヤホンを耳に入れ、常にアラビア語を聞いていました。耳を慣らすのは大事です。また、現地ではアラビア語でネットニュースを辞書を引きながら読んでいました。文法がわからないことも多々ありますが、単語量は増えます。あと大事なのは、仕事で使うことです。
問い合わせ先メールアドレス(なんでもお気軽にどうぞ!隊員の紹介も可能です)
shinsostunohonne@gmail.com まで!