エチオピア連邦民主共和国 コミュニティ開発
自己プロファイル
派遣国:エチオピア連邦民主共和国
隊次(具体的な派遣期間):2018年度1次隊(2018年7月~2020年3月)
協力隊派遣前の専門学校・短大・大学(所属学部やゼミ):新潟大学人文学部
応募時の資格:社会調査士、TOEIC、英検、カンフー
職種:コミュニティ開発
配属先: エチオピア連邦民主共和国南部諸民族州ワライタ県水・鉱山・エネルギー事務所
活動対象の人:元々JICAプロジェクトがあった地域の住民、及びそのプロジェクトに関わっていた関係者
要請内容:元々配属された任地で行われていた、JICAのロープポンプと呼ばれる給水設備の普及プロジェクトのフォローアップとして派遣されました。要請内容で言えば、①ロープポンプの普及活動および設置後の維持管理、②給水衛生状況の改善支援の二つが主です。
~自己紹介(志望理由や活動内容を含めて)~
初めまして。
志望理由は、いつからか、 遅くとも高校生の頃からだったの思うのですが、いつか青年海外協力隊に参加したいと思っていました。それは何かひとつ大きなきっかけがあったわけではなく、いくつかの要素が混ざり合ってそうなったのだと思っています。
自分の通っていた小学校が同和教育の盛んな学校で、そこで社会的弱者のことを思うようになりました。そして、中学校・高校で始まった英語の授業で 、英語が割りと好きだなと思うようになりました。その二つが交わって、青年海外協力隊への参加志望に結びついたのだと思います。海外には行きたかったのですが、それもボランティアで行きたいと思っていたので、大学を卒業してそのまま青年海外協力隊に参加するまで結局行きませんでした。
~現地でのことについて~
①現地で活動して良かったと思った瞬間
派遣当初、街を歩いていると「チャイナ!」「チュングチャン!」と言われることが本当に多かったのですが、時間を経るにつれ「ジャパン!」の声が増えていったのがすごく嬉しかったですね。自分も現地語を勉強して話せるようにしていくと、乗ったバジャジ(エチオピア版トゥクトゥク)に乗った際に、「こいつ話せるんだぞ」と運転手がお客に話すなど、知名度が上がって生活しやすくなったのも嬉しかったですね。
②活動で苦労or 辛かったこと、どう乗り越えたか
活動では苦労しかしてないです(笑)。なかなか活動に結びつけられるようなことができず、ずっともがいていた記憶です。乗り越えられてもいない気もするのですが、とにかく毎日、何かしら動くことで苦しさを紛らわさせていました。今日は彼に会いに行く、今日は~に行く など何かしら毎日予定を入れていって、それを積み重ねていくことで自分を奮い立せていた気がします。
③要請内容への取り組みとその後
一つ目のロープポンプ(以下RP)に関しては、パーツをつくる生産者・メンテナンス及び設置をするテクニシャン・実際にRPを使用する住民への働きかけが主な活動。住民へは、設置地域がなかなか遠く 現地に行けないことも多かったので難しかったし、生産者もテクニシャンとも関係構築に時間を多く費やしてしまい、活動までなかなか行きつかなかった。
二つ目は、当初なかなか気が向かなかったのですが、二年目になってそちらも取り組もうと思い、学校や教育オフィスに働きかけていたところ、もう少しで実現というときにコロナ禍による退避に遭い、実現する前に断たれてしまった。
④要請内容外での取り組みと展望
(i)他の隊員の学校への訪問…依頼を受けて、他の隊員が派遣された学校でピアニカの指導や日本文化の紹介、手洗い指導を行った。
(ii)Japan Festival…エチオピアのJOCVで例年行われているJapan Festivalに参加し、日本文化の紹介を行った。
⑤現地での活動や生活(隊員生活)で得たもの
心の強さは確実に手に入れた気がします。現地の人に100%アジア人の自分が入って行き生活をしたり活動したりするのは、やっぱり偏見もあったけど、 言葉を覚えたり文化に浸ったりしていくうちにそれを超えることができていったことは、とても大きな経験だったと思う。
⑥新卒だから出来たと思うこと、逆にもっとやっておけば良かったこと
人にもよると思いますが、余計な眼鏡をかけずに現場を見れることもあるのでは・・と。社会経験がないからこそ、目の前のものをありのまま、 バイアスなしで見れるのもまた新卒なのかもしれません。もちろんさらに深く見るためには、知識とか知見が必要かもですが。
~協力隊全般について~
⑦訓練所での感想
とにかくいろんな人がいて、その人たちと交流を持てたこと・知り合えたことは良かったなと思います。後悔というと言いすぎかもですが、その方たちともっと深い話をしてもよかったなと思います。それと、目標に掲げつつもできなかった、 イベント等の企画運営にもっと関わっておけば良かったと思います。特に後者は派遣されてからも必要な力だと思うので特に…。
⑧選考時はどんな面接だった
人物面接の方は特に印象に残っていないのですが、志望理由や参加した後の進路をどう考えているかなどを聞かれた気がします。技術面接では、ちょうど大学4年生のときに受けたので、「卒論では何をするのか」や「要請について 実際に行ったら何をしたいと思うか」などを聞かれた気がします。自分が出した3つの希望のうちいくつかが人気だったようで、それについても聞かれました(笑)
⑨何故受かったと思うか
正直分からないのですが、今思うと青年海外協力隊に合格して 終えた後のこともなんとなく考えていて、それを言えたのがよかったのかもしれません。あと希望のいくつかが人気で厳しいと聞いた時、アフリカ・中東・南アメリカにとにかく行きたかったので、行ければなんでもいいです というようなことを言ったので、それも良かったのかもしれない。
⑩協力隊終了後の進路
自分の中での柱として国際協力と地域おこしの二つがあって、それに関わる何かをできればいいかなと思っています。協力隊が決まった時、知り合いが地域おこし協力隊をやっていたので、その方の活動に参加させていただいたこともありました。その体験も、今となっては良かったのかなと思います。
~語学について~
⑪協力隊の面接受けた時の語学力は?
大学1年生の時に受けた、のちの英語の授業のクラス分けのためのTOEICの点数を提出しました。当時は695点でした。
⑫現地で語学は通用しましたか?
エチオピア隊は、訓練所では英語を勉強し 、派遣されてから一ヵ月はエチオピアにおける公用語となっているアムハラ語の勉強を現地で行います。(最近になって北部のティグライ州に派遣される隊員は、それに変わってティグライ語の研修を1ヵ月するようになったようです。
英語が通じるか否かは、配属先なら行政レベル 、日常生活なら都市のレベルによると思います。自分の場合フィールドに出ると、英語でもアムハラ語でもない現地語が話されているので、英語が通じる人を連れていって通訳してもらっていました。
⑭どのように語学を勉強したか?
語学用のミニメモ帳は常に持ち歩いていました。1年目は特に、同僚にこれは何と言うのか あれはなんと言うのかを逐一訊いていた気がします。
問い合わせ先メールアドレス(なんでもお気軽にどうぞ!隊員の紹介も可能です)
shinsostunohonne@gmail.com まで!